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コンユ:「静かなる海」好き嫌い予想…多様な観点=関心だと考える インタビュー②

コンユ:「静かなる海」コンユ「ペ・ドゥナ、アイコニックな俳優…同級生なので気楽だった」インタビュー①元記事 俳優チョン・ウソンが制作を引き受け、話題になっていたNETFLIXオリジナルシリーズ「静かなる海」の中心にはコンユ...

元記事

質問部分以外の冒頭は、インタビュー①と全く同じなので、省略します。

俳優ではない人間コンユなら、この状況の中出発するのか

卑怯かもしれないけれど、ユンジェのように子供のためにはパレ基地に行くと思う。ユンジェのように、ベネフィットがあるとすれば行く。ベネフィットがなかったら悩むけれど、確実なベネフィットがあれば、自分の子供を助けるために行かなければならないと思う。

※ベネフィット・・・利益、恩恵

「静かなる海」は評価がとりわけ韓国シリーズの中でもギャップが大きいようだ。今年最後のラインナップなので大きなプレッシャーもあったと思うが、様々な評価についてどう考えるか

この作品を始めた時から好き嫌いが分かれるだろうと予想していたし、ジャンルがジャンルなので、よりもっと分かれるだろうと正直予想していた。今年のNETFLIXでの、韓国ドラマ最後のラインナップだからといって、私がプレッシャーを感じる必要はなかった。ジャンルも違うし、各作品は各自が持っている固有の情緒が違うので、私がプレッシャーを感じても何も変わらない。ただし、あれこれ結果を見てそのようなプレッシャーはあるかもしれないが、結果が絶対的な数値になってはいけないと思った。私たちは1位になるためにドラマを作ったわけではないのに、どうしても結果物で話すから老婆心があった。それが絶対的な基準になり得ないのに、そのようにおっしゃるので心配した。

先だって好き嫌いが分かれることを予想していたと言ったが、どんな理由でそう思ったのか、個人的にはこの作品がどんな意味を持つと思うか

ジャンルのために、好き嫌いが分かれると思った。科学的な考証もあるだろうし、そこに接近する様々な観点が多いだろうと思った。不足している点が多いが、広大な宇宙の姿やダイナミックな姿を期待していらした方々が、多少否定的な観点で見ることもわかるし、理解できる。だけど「静かなる海」はそもそも作品はそういう(ダイナミックな)作品ではなく、私たちができる現実の方法と手段の中では賢明な選択だった。はっきりと私たちがよくやったというわけではないが、SFジャンルの発展の可能性を開いたし、意味のある最初の1歩だったと思う。「やはりやらなければわからないもの」だと言いながら思った。後に別の制作陣がこれを礎にして、ノーハウを更に発展することができる機会になったいう自負心を感じる。作品に参加した立場から物足りなさが残っていなければ嘘になる。個人的に満足する部分もあるし、どう見ても不毛の地同然だった韓国のSFジャンルにあっての試みは、立派な最初の1歩だったと思う。様々な観点で見ていただいているが、それほど関心があるからだと思って、ありがたく受け取る。

原作と比べた時、どのような違いがあると思うか

原作もおもしろく見た。監督はこのジャンルが本当に好きなんだなと感じた。作品やスクリーンで感動し、すでにこの作品をやりたい気持ちがあった。文字で感じていた場所が、作家さんに出会って予想通り余すところなく感じられ、この方たちと一緒なら同じ方向性を持って頑張っていけるだろうと思った。NETFLIXと出会ってドラマの中の設定での地球の姿、韓国の姿、そんな部分と月の姿が交差的に出せることになり、よかったと思う。世界観を見せるのに余裕ができて、多くの事をお見せできると思う。短編よりもCGのクォリティが高くなり、ジャンル的に見どころや娯楽的な部分がよくなったのではないかと思う。

「静かなる作品(海の間違い?)」がくれる作品のメッセージは何だと思いますか?

元々シナリオを受け取った時からそう感じて選択したのだが、選択理由を説明すると、この質問に対する答えになると思う。私は人物学的な作品だと思っていた。空想と学物ジャンルだけれども人文学的作品なので、更によかった。そんな地点もとても興味深かった。近未来に必須資源である飲料水の不足により人々が苦痛を受けている状況で、代わりになり得る資源を探すために月に発ち、アイロニーではあるが枯渇を解決するために探しに行った月という場所で、水によって死を迎える、そんな地点がアイロニーで、アイロニーが魅力的に感じた。それが人類の希望になるかもしれず、禁断の果実になるかもしれないという観点がおもしろく、作品を選んだ。私が言いたい両面的な部分があると思う。人類の希望であり、未来であるけれど、禁断の果実かも知れないというあいまいな地点が魅力的に感じられて作品を選択した。

ペ・ドゥナさんが(コンユが)この作品に出会った後、シャワーをする時水を大事にするようになったと言っていたが

シャワーをする時、冬はシャワー室の温度が下がっているから水を出しっぱなしにしてシャワーをする傾向があったんだけど、ドラマを始めた後には、習慣のように水を止めている。ある書き込みを見たのだが、ファンの方がドラマを見て、同じ事を話していた。「水を止めるようになったと、このような事を感じさせてくれてありがとう」と書いているのを見て、自分が誇らしくなった。

前作「SEOBOKU」と今回「静かなる海」は、人間と技術、環境をに考えを巡らせることになった。

それが引き付けられた、魅力的だったポイントでもある。それが両面的だと思う。果たして人類は、非倫理的であっても生存のためにどこまでしなければならないのか、禁断の果実を摘むのか、そんな部分に対して悩み続けている。「自分はこうです」と確実に答えられないが、考えて悩まなければいけないと思う。私たちは未だにその過程にいるようだ。環境に対しての考えは、確実に認識しなければと考えるようになった。アイロニーなことに技術と科学の発達が、環境を汚染しているようだ。個人的に私が必要な事は、どのような姿勢で人生を生きていかなければならないか、だ。個人個人の信念や所信も重要だ。不特定多数が正しいという事にどっと群がるよりも、個人の確実な哲学と信念を持って生きなければならないのではないかと思う。多数に気後れすることなく、言うべきことがある時には少数の哲学と信念を言うことができなければならないと見る。ソン・ジアン博士とハン・ユンジェがぶつかり合う事は、善と悪ではない。だから心が痛むのだ。善と善の対決に、心が痛むが、絶え間ないそのような葛藤と共に前進していかなければならないと思う。個人的にはそんな悩みを持った。

 

コンユインタビュー③https://hendoku.xyz/2022/01/04/shizukanaruumiinterview1/ https://...

 

 

 

 

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