コンユの部屋

コンユ:GQ9月号「そう、どこかに流れていくさ。漂っていればいい」

元記事

「そう、どこかに流れていくさ。漂っていればいい」

 

コン・ジチョルはコンユを救う

GQ:ちょっと親指が見たかったのですが、ここからは見えませんね

GY:親指ですか?どうして?(親指を差し出して見せてくれる)

GQ:最近釣りに行ってないみたいですね

GY:釣りには行けてません。あぁ、釣りに行ったら焼けるから?ハハハハ

GQ:釣り用の手袋をはめると親指だけ出て日焼けするので、それを確認したかったんです

GY:そうなんですよ。今は栄光の痕跡はありません。雨が降ったりやんだりして船が出なかったり、「トランク」の撮影をしていて行けませんでした。1回行ったかな。3月に1度行きました。

GQ:昨年の秋に74cmの真鯛を釣った時の記録は破りましたか?

GY:その記録を破った「80cm台」を釣りたくて行ったのが3月だったのですが、釣れませんでした。すぐ隣の釣竿で釣れました。90cm。横で見てましたよ。あぁ、僕のなのに…。釣れなかった。

GQ:残念でしたね

GY:そんな、釣りをする日はたくさんあるし、記録は破るためにあるんだから。私が今1メートル級の魚を釣ったと考えてみてください。その記録は今後何年間は破るのが難しいということでしょ。だけどまだ余地があるじゃないですか、私には。急いで上り詰めたらおもしろくないからゆっくり、ゆっくり。

GQ:自身の記録的なその真鯛はリリースしましたよね。「次の作品が上手くいきますように」と言って

GY:それが「トランク」です、時期的に

GQ:下半期に公開予定だから、真鯛が願いを叶えてくれるかは後で分かりますね。

GY:どうでしょう。分からないですね。言葉ではそう言ったけれど、盲信してもいません。ただ気分がいいじゃないですか。二度と釣られたりせずに元気に過ごせ、という。大きな魚たちは、年取っているなと感じます。ウロコもあちこちはがれているし、目を見ていたらちょっと微妙な気持ちになって。この広くて深い海を数十年間、どれだけ泳ぎ回ったのか。私より人生経験が豊富かもしれないし。それに「トランク」に出演することを決める前だったんですよ。作品が決まっていたわけではなかったんだけれど、タイミング的に「トランク」になりました。

GQ:分からないけれど、それでは新作を準備しながら過ごしていた昨年の夏から今年の冬までの時間は熱かったですか、冷たかったですか?

GY:私はそのころ「ピンゲゴ」で、最近演技するのが楽しいと話したんですよ。ちょうどその頃の私の温度はいい感じだったんだと思います。そんなに熱くも冷たくもない。キャラクターと関係なくその作品を撮っている時、私自身が安定していて余裕があったんだと思います。現場の雰囲気や、久しぶりの作品に臨んでいる私の心構えが、熱いというよりもただ、ちょうど私が好きな適正温度で仕事をしているという感じだったので、簡単に言うと楽な気持ちで流れていたという感じ。ちょっと抽象的ではあるけれども。

GQ:抽象的ではあるけれど、温度が適正だったという表現はいいですね

GY:なぜなら、私はそんなに熱い人間でも、冷たい人間でもないと思うんですけど…、私はすごく熱いのはあまり好きではないんです。自分自身でコントロールできる適正バランスをいつも維持したい人間なんですよ、生きていて。誰かから、また何かから揺るがされるのがあまり好きではない人間だと思うんです。年を重ねるほど、徐々に適度な妥協は必要だとは言っても、その中で、ただ自分の世界では他人から被害を受けず、しっかりとしていたいという気持ちがあるのですが、ある意味開かれていない人についての話のように感じられると思いますが、適正の水準があるんだと思います。数値で表現することはできなくても「こういう時に自分は安心感を感じるんだな、こういう時に心が安らぐんだな」という程度に本能的に感じて、その中に留まろうとします。そういう意味でその時はちょうど適正な瞬間に留まっている感じだったのではないか。だからといって、例えば撮影が物理的な時間上の余裕があった、という話ではないんですよ。

GQ:気持ち的に楽だったという事ですよね

GY:はい、ただ私の心構え自体が。

GQ:今のコンユを客観的に見ると、どうですか?でも自ら私はこんな人、こういう環境が気楽だ、そんな具体性がすでに感じられますね

GY:私ももう若くはないから。いろんな経験を通して自分がどんな人間なのか、以前と比べて今の方が説明できるようになったと思います。私は世の中に100%はないと考えているので、依然として自分を知っていく過程でもあるけれど、以前に比べたら自分に耳を傾けるようになったと思います。

GQ:自然なことなのでしょうか、それとも特定のきっかけがあったんですか?自分について深く考えることに。

GY:例えば幸せではなかったという話よりは、幸せだったことを知らなかったんだと思います。感じられませんでした、幸せだということを。幸せを感じる暇がなかったんです。

GQ:例えば29歳の「コーヒープリンス1号店」と39歳の「トッケビ」の時?

GY:はい。いわゆる他人から見た時に一番幸せであっただろう、その時期に実際本人はその幸せを完全に楽しめなかった状況だったと、「なんでそうだったのか」、自分でもたくさん考えてみたんですよ。今もなお自分なりに推定や分析をこじつけてみても、明確な答えを出すことはできないけれど、あれこれ話をしてみると、さっき私が言ったことと繋がります。要するに私が自分の心の声に耳を傾けることができず、自分の意志よりも他人の目を気にすることが多かったかもしれないし、それに普通私たちの世界では結果が全てだと言えるじゃないですか。だけど私は絶対的に過程が重要な人間なんです。私自身を認めることと、達成感も重要だという事です。だから作品が終わった後は、明らかに自分に必要な時間があるんだと思います。何かを整理する時間が。だけどその時間をまだ持てずにいる状態でたくさんの人の前に露出すると、その時間はいつも後回しになってしまいます。あえて私の内情を全部出す必要なないから。それに彼らが今すごく鼓舞されているのに、彼らの気分をだいなしにしたくなくて。私になりに、ある責任を果たさなければならないという義務感のようなものがあるようです。それが繰り返されて、その時は分からなかったんですがバーンアウトが来たんです。過ぎてから分かったんです。「トッケビ」を終えた時もバーンアウトが来たんです。情緒的にも肉体的にも。もう、ちょっとコンユを投げ捨て、あるいはそのキャラクターを投げ捨てて出てきたかったのですが、なにしろ作品が上手くいくと、それによって派生する数多くの仕事が来るので。とっても幸せなことなんだけど、そこから来るギャップがあったように思います。

GQ:4年前の「GQ」のインタビューで「トッケビ」以降「柔弱だ」という表現をたくさん使たので、キャラクターが俳優に付けた痕跡なのかと思たのですが、その痕跡だけではないようですね。

GY:私もすごく好きな表現なんですが、私は演技というものはそういうものだと思っています。キャラクターが俳優に埋め込み、私もまたキャラクターに埋め込まれる。お互いに埋め込み合う。だからコンユが演じる役と、また違う俳優が演じる役は違うんです。違う物を埋め込むから。その時「柔弱だ」という言葉と同時にたくさん使った言葉が「もの悲しさ」です。キム・シンを一言で要約するならば、もの寂しさなんですよ。キム・シンから約1年という間、そのキャラクターが私に埋め込まれていたという事じゃないですか。明らかに影響がありました。だけど「トッケビ」はより深刻だったようです。

GQ:どれだけ考え、どれだけたくさん話したら、こんなにスラスラと言葉が出てくるのだろうかと思うのですが

GY:だけどこの話を、このように話す場がありません。時々知り合いの前でお酒を飲んで話す言葉でしょ、実は。

GQ:ジレンマとでも言えばいいのかな。「コーヒープリンス1号店」と「トッケビ」の話はしないでおこうと思っていました。ものすごくヒットした作品ですが、以降コンユは新しいキャラクターに埋め込まれ、埋め込んできたのに、再びチェ・ハンギョルとキム・シンを引っ張り出すのは、むしろ失礼かなと思って

GY:そんな、大丈夫ですよ

GQ:大丈夫ですか?バーンアウトは過ぎましたか?

GY:結局は絶対に時間が必要なんです。とりあえず何度かの経験を通じて「私が今少し健康ではないのか?」という考えを自らするようになったら、幸いなことです。私が自分自身を知ろうと努力したのも、自分の状態を客観化することが必要だったんです。だからずっと尋ねる時間を持つしかなかったし。それに体力的に疲れると、情緒的にも疲れます。そうすると体力的な疲れを早く回復させよう、具体的にはずっと自分の体を運動する環境に置いたり、家で半身浴をしながら窓から木々が青々としているのをずっと眺めていたり、自分にはない知識を総動員させてもがいていたように思います。一つずつただ試してみたんです。釣りも役立ちました。

GQ:釣りはその頃に始めた趣味なんですね

GY:釣りも好きだけれど、船に乗って大海原に出ていくのも好きで。考えることが多い人間なのですが、果てしない大自然の前に立っていると、自分が宇宙の塵に過ぎない、自分はそんなに立派でもないし、必死に頭を抱えて悩むことではないかもしれないと思うんです。さらに集中してずっと(釣りのリールを)回すという単純な動作をしていて、何かが掛かればそこから来る、ものすごく単純な喜びがあるんです。原始的な手の感覚。そういうものが人をシンプルに、その瞬間は自分をシンプルにしてくれるから。

GQ:客観的な観察について聞いたのは、コンユさんが印象深く読んだという、85歳の精神科医、イ・グヌ先生のインタビューの質問の中から借りてきたものです。「幸せは蜃気楼、小さな喜びで悲しみを覆って生きなければ」という題名のインタビューでしたよね。どんなところが良かったんですか?

GY:おお、そうなんです。その言葉がよかったです。幸せは蜃気楼にすぎない。この言葉を周りの人たちによく話しました。実際そうなんですよ。私は「あぁ幸せだ、すごく気分がいい」という話を頻繁に言う人たちがうらやましくもあるけれど、コーヒーを飲みながら「あぁ幸せ過ぎる、すごくおいしい」というマインドが、自分自身を本当に幸せにしてくれるとも思うけれど、だけど私はそれが上手くできないんですよ。そうやってうまく吐き出せない。「幸せだ」、「すごく嬉しい」、「すごくキレイじゃない?」こういうことを上手く言えません。

GQ:感じるけれども、表現できないという事ですか?

GY:表現も特にないし、ただちょっと無心なんです。だから、いい方にはそれほど敏感ではなく、良くない方にはすごく敏感です。元々がちょっとネガティブな人間ではあるんだけど、小さなことで幸せを感じられない人間ではないのに、ただ…、なんとなく…、「それが何?」っていうような。横にハッピーウィルスな人たちがいたら、つられて幸せになる事もあるじゃないですか。でも私は特に影響を受けないんですよ。ただ淡々としているんです。

GQ:だけどそうは言ってもイ・グヌ先生は、そういう小さな幸せを感じろと言ってるじゃないですか。

GY:そうなんです、そうなんですよね(笑)だけどこういう事ですよ。人は幸せにすごく大きな意味をつけるという事です。私はそういう風に読みました。だから「幸せは蜃気楼に過ぎない」という表現が好きだったんです。私の考えでは幸せに強迫観念を持つ必要はないという事です。幸せでなくちゃ、幸せでなくちゃ、というふうに。絶対幸せじゃなければだめなのか?なんでみんな幸せになろうとするんだ?ただ健やかなことが幸せかもしれないじゃないですか。私の人生に重大事がないというのも、幸せなことかもしれないじゃないですか。幸せに対する、一種の強迫観念がない人間だというのが、正しいかもしれません。特にまぁ…、だからただ受け入れるタイプなんですよ。そうみたいだな、まぁ。仕方ないよ。ということの方が多いです。

GQ:私はそのインタビューで何を得たかというと、読んでみますね。「(年を重ねるほど)成長期に学習した教養と習慣は細胞の欠片から落ちるように揮発されます。残るのは両親から受け継いだDNAと気質、幼いころの家庭教育だけです。だから三つ子の魂百までという言葉があるのです」コンユさんも時間が経つほど徐々に自身について明確になるようだと言いました。結局この話にたどり着くみたいですね。欠片が揮発されて残った核心、自分を支える核は何だと思いますか?

GY:私はまだそれほど自分を全て分かってはいません。また変わるかもしれないでしょう。以前に比べて今は安全圏なだけで、例えば50歳で突然、疾風怒濤を経験するかもしれないし。油断していたらダメなんですよ。未完なんだから。結局それは死ぬまで続く悩みだと思うんです。それでもその核を話すとするなら…、誰も知らなくても構わないけれど、ただ本当に自分の事だけを考えて話すと、特にそういうそぶりを出してなくても、少しずつ少しずつ、私は自分がやりたいままにしているんですよ。

GQ:(そういう素振り)出てましたよ

GY:出てました?

GQ:すごく俗っぽい例ですが、コンユという俳優はクレジットに自身の名前が一番最初に出ようが出まいが、関係ないという風に見えます

GY:関係ないですね。それ自体が私にとっては無関係なことです

GQ:ですよね。それが基準ではないという事ですよね

GY:タイトルロールだろうがなんだろうが関係なく、人々から人気を得られる可能性が大いにあるスペックの作品だろうが、そうじゃなかろうが関係なく、私が見てインスピレーションを得て、自分がおもしろかったらやるもの。はい。それが以前より、もう少し悩まずにやるようになりました。以前は「これはちょっと躊躇するな。人々はこういうの好きかな?」と少しでも悩んだら、その時はやらなかったと思います。ただ私が、おもしろいと思えばいい。やや傲慢に聞こえるかもしれないけれど、「こうしたら大衆が喜ぶだろう」と、私が計算するのも傲慢かもしれないじゃないですか。だからそういう事は考えずに、私が心からおもしろいと思えるもの、私が楽しめるものにフォーカスを当ててるという気がします。最近知人たちと一杯やりながらよく言うのが、私たちはどこかにずっと流れているんだけど、幼い時は自分がどこに流れていくのか、「変なところに流れ着いたらどうしよう?」という老婆心が多かったら、今よりも心配していたように思います。そう、どこかに流れていくよね。流れて行けばいいよ。留まっている水は腐るから。川でも海でもどこかに流れて行けば、こうして浮遊していることをそれほど不安に思わないと思います。どこかに流れていくだろう。それがどこだろうと。ただ、流れていくという事が重要だ。

GQ:今コンユの顔を描写するとしたら?

GY:(目を閉じて両手で顔を触りながら)ちょっと嫌なやつかもしれないけれど、手が大きいのか顔が小さいのか分からないけれど、小さいのになんだか攻撃的。前よりもごつごつしていて、デコボコした感度が違います。ガサガサしているし。顔の筋肉を長い間使い過ぎていたからかもしれないけれど、前より骨、あるいは筋肉が…、よく言えば立体感なんだけど、引っ込むところは引っ込んで、出るところは出ているところが多くなっている感じです。アイホールも深くなって…、目が落ちくぼんだという事ですよね(笑)ごつごつよりもっと多様になってる感じ?昔よりも。

GQ:気に入ってますか?

GY:まぁ、特に考えたことないです。年取ってきたなぁ。まぁそうやって気に入る、気に入らないとかはないです。

GQ:年齢が顔に上手く現れたらいいなと言っていた言葉を思いだしたので

GY:こういうグラビアの作業をしていて、モニターを見るじゃないですか。その時毎回感じるんです。お?去年より老けたな?(笑)作品を撮った後、アフレコしながら自分の顔を1年後に見たんですよ。1年前撮影現場で「あぁ、年取ったな」と言っていたのに1年後に見たら「この頃は若かったな?」の繰り返しです。回し車を回っているように。だから私の得た結論は、今が一番若い。今が一番若くて、今現在が重要だ。過ぎたことに縛られずに。

GQ:結局は流れていかなければならないんですよ

GY:はい。そういう事になります。生きていて、現在が一番重要なんです。さっき言った話から、私はその時今を楽しめないでいたのかもしれません。私はいつも習慣のように、次のことを考えたりしていました。さぁ、もう自分の宿題をやり遂げて、自分の役目を全部やった。だから次のことを考えなくちゃ。そうやってすぐに次の事を考えていたんです。自分のバーンアウトの事は考えずに。受けた傷や、自分の状態をケアせずに。みんなが一緒に喜んでいる時、その幸福感を一緒に感じられずに。肩の荷を下ろして一緒に笑ってはしゃいで「ありがとうございます。楽しいです。みなさんありがとう!」と楽しんでいたら良かったのに、習慣のように次を考えていたんです。私はいつも、毎回そうしていました。だから泣きっ面に蜂、弱り目に当たり目で、全部パン!となってこうして…

GQ:放り出す感じ?

GY:放り出す感じ。「トッケビ」が終わって、まさにそういう気持ちでした。自分の器がこれしかないのに、あまりにもたくさんのことを抱え続けようと頑張っていて、パンと弾けたんだなぁ。やり過ごさなければいけなかったのに。

GQ:その時のコンユは見ることができなかったけれど、今、目の前にいる人は本当少し穏やかに見えます。

GY:こうやって話をするじゃないですか?そしたら穏やかなんですよ。「トッケビ」の話が出たので言いますが「トランク」の撮影の時も、実は柔弱な人物なんですよ。また。

GQ:そうなんですか?何に惹かれて今回は「トランク」を選んだのか、そうでなくても気になっていたんです。

GY:私が「トランク」で作り上げたハン・ジョンウォンという役は、夜眠れずに、いつも悪夢にうなされていて苦しんでいる人物なんです。だからある意味また柔弱だと言えるし、健康ではない人なので、そのハン・ジョンウォンを救ってあげたかったんです。大きな哀れみを感じました。キャラクターに哀れみを感じたら、そのキャラクターに惹かれるんですよ、私は。だからジョンウォンを救ってあげたいと思いました。どうせ私がジョンウォンに埋め込み、ジョンウォンにならなければならないんだけれど、私を埋め込んでジョンウォンを救ってあげたいという気持ち?

GQ:哀れみに惹かれたんですね

GY:はい。ジョンウォンがすごく可哀そうで。ジョンウォンを自分の城から解放してあげたい気持ちがありました。

GQ:その哀れみはどこから来るのでしょう

GY:私が、私が経験した後、より哀れみが強くなったように思います。おせっかい心が生まれたんですよ。そういう意味でジョンウォンが傷ついてほしくない、ジョンウォンは元気でいて欲しい、そういう思いで見つめていたんだと思います。もちろん作家さんが内容をすでに書いていて、エンディングは決まっていますが、今の私の思いがジョンウォンに届いた時、ジョンウォンが救われる一助となるだろうと思っていました。序盤に監督、作家、ヒョンジンさんともそういう会話をしました。もしかしたら、お互いがお互いを救う話なのではないか?と

GQ:原作のキム・リョリョン作家が、この作品を書いてこんな話をしたことがあります。人生を長い旅程だと考えた時、私たちはトランクに上手く荷造りをしないとと考えるけれど、トランクは実は捨ててもいい物なんじゃないかと。リュック一つだけ背負っていればいいのではないかと。

GY:かっこいいな。私は今の自分のペースがいいと思っているんです。ある時は熱くならないとダメかな?私があまりにもぬる過ぎるかな?他の人が熱くなるのを望んでいるから、私もちょっと熱くなった方がいいかな?と考えていたのですが、そこからすこし楽になって来たんですよ。そういうふうに悩まなくなったのを見ると。いやただ、これでいいのに、どうすればいいの。みんなにいちいち「私はこういう人間です」と言う必要はないと思うし、また時々申し訳ないほど、私が持っている物よりも多くの物を持っている人に思ってくれるのが、ありがたくもありプレッシャーでもあるので、絶えずもっと良い人になろうと努力するというのも事実です。事実なんですが、私は今自分のペースが気に入っていて、今の自分の温度がちょうどいいので信念を貫いて行けばいいと思っています。気の向くままに。

 

以上です!

うんうん、今が気持ちが楽なら良かった。

留まらずに、俳優でい続けてくれるだけでいいよー

楽しいと思える作品に出会った時、演技してる姿を見せてください。

努力や人間の出来具合とかは全然違うけど

ちょっと考え方が似てる部分もあって「わかるわぁ」と思いながら読んでました。

 

 

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です