コンユの部屋

コンユ:ELLEインタビュー記事【日本語訳】

元記事

コンユの嬉しく美しい そのすべての時間

コンユはいつもそうであるように あなたの側に喜んで留まるだろう。嬉しく美しい その全ての時間に。

お久しぶりです。季節が8回変わった間、お変わりありませんか

私は相変わらずです。無難な日々を過ごしています。

時計を付けた姿が本当にナチュラルですよね。ルイヴィトンとの縁をどう感じていますか?

以前も縁を結んだことがあります。すばらしい2人のデザイナーと時を同じくした、運のいい人間です。ウォッチでもう一度縁が続いて行くのですが、不思議なことに、いつもそうだったようにルイヴィトンは気が楽な感じがします。

初めて腕時計を持ったころ、コンユはどんな青年でしたか?

ちょうど軍隊に行っていた30代の初めだったと思います。当時時計に対して興味はなかったのですが、初めてある程度高価な時計を自分のお金で購入する決心をしました。成人になって、徐々に大人になっていくのだから、いい時計を一つくらい買ってもいいのではないかという、普通の考えで。ぶるぶる震えながら買いましたよ(笑)

意外ですね?素敵な時計を付けて生まれてきたような人なのに(笑)

ハハ。選ぶのも必死でしたよ。他の人が見たら「何であんなに悩んでるんだ?」と思うほどに。当時はものすごく大きな消費だったんです。周りの人からも「あなたくらいなら十分買えそうだけど?」と言われたけれど、経験がなかったから。一生懸命に直接足を運び、価格の比較もして、長い時間かけてリサーチして、やっと1つ買いました。その時計は今でも大切にしています。

釣りが「人生の趣味」じゃないですか。もしかして時計よりも釣竿の方が多いですか?

その通りです(笑)釣竿を買う時も同じです。性格上効率性を考えて、必要以上の消費に対する警戒があります。質素というよりは、そうやって購入することで、その品物に対する愛着が大きくなり、大切に感じるので。

今月初め、ついにあなたが送った「イカゲーム2」の招待状を受け取りました。12月末に公開されます。一生懸命撮影した作品の公開を待つ気持ち、人々をその素敵な世界に招待する気分は相変わらず緊張しますか?今ちょうどそういう時期でしょうね。

もちろんです。長い間、みんなが1つになって苦労して作った作品を視聴者に届けるのだから、気分のいい緊張感でしょう。今はある程度楽しめるようになりました。以前は不安な気持ちと焦りが先立っていたとしたら、今も緊張はするけれど、視聴者の反応に対する純粋な好奇心ができたとでも言いますか。楽しんでくれようが、つまらなかっただろうが、作品に沸き起こる、いろいろな反応自体が気になります。仕事を長いことしていると、全ての人に愛される作品はそうそうないということに気づいたので、その瞬間を楽しめるようになったんだと思います。

予告編で、人々をゲームに招待する「メンコ男」のすっきりとしたスーツ姿は、憎いくらいに格式がありました。どういう訳でこの巨大な世界の門を開閉する人になったのですか?

「イカゲーム」は実は、ファン・ドンヒョク監督との親交があり、プライベートの席で冗談のように始まったカメオ出演なので、私にはそれほど負担のないプロジェクトでした。ここまで大ごとになるとは予想できませんでした。たまたまこの世界観で出演が少し増えたのですが、今も他人事のようです(笑)全世界的に愛される作品に参加できるというのは嬉しいことで、迷惑をかけないようにしようという思いです。さらに、今までやらなかったスタイルのキャラクターを表現することに、新鮮味と面白さが充満していて、短い期間ではあるけれど痛烈さと喜びを感じました。

長い間演技してきたあなたにも、最近のプラットフォームの速度に慣れないと感じますか?OTTや映画館のシステムの変化は俳優にも新しいエネルギーや刺激になりますか?

それを外部の影響と表現するならば、私は大きく影響される人間ではないと思います。ただ、その変化に自然に溶け込もうとしています。俳優として残念な気持ちはあります。度を越して刺激的なことだけを追ったり、俗っぽい言葉で言えば、こういうコンテンツが「金になる」と言って、映画産業でもOTTでも続けてそんな価値だけを目指していくと、制作の多様性が崩れていくじゃないですか。もちろん、この産業自体がお金に従うしかない構造なので本質的に解決するのが難しい部分もあるでしょうが、一辺倒になりすぎないで欲しいです。もちろん、私が定義づけることができない部分で、大衆の好みもまた、関与できる問題ではないので、そう、老婆心です。

それでも変わらない「感性」がありますよね。個人的にはコンユが描く繊細な愛の表情のようなものを例に挙げたいのですが…。
大衆が愛する表情と、自身が愛する表情のギャップを感じる事もありますか?

めちゃくちゃあります。そのギャップが大きいようで、貸しを作ったような気になることがあります。私はみんなが思っているほど多くを備えている人間じゃないのに、優れた人だと見てくれることに対して、何というか、気分のいい責任感を感じます。私ができる最善の努力で、そこまでではなくても期待してくださるのに近い形にでも、自ら未熟さを埋めて、ある程度のレベルに合わせようと努力します。それが時には原動力になり、私を持ち上げている感じです。私がもっと努力して、素敵な人になろうと思わせてくれるので、好循環なんです。

そういう意味でキム・リョリョン作家の同名原作小説をドラマ化したNetflixシリーズ「トランク」の公開されたスチール1枚を見て「これだ!」と思いました。見たことがあるようで完全に新しいコンユの表情だったんですよ。

それがまさに、ジョンウォンの姿です。リハーサルで演技をしている時に、知らないうちに撮られた写真なんです。ある意味コンユではない、完ぺきにジョンウォンになっている刹那を捉えたものです。作品のコントラストもうまく表現されていて。極めて明るくはない作品だから。

「湖畔に浮かぶトランクによって明かされた秘密めいた結婚サービス」に関する話ですよね。過去に受けた傷により、不安と寂しさに蚕食された音楽プロデューサーであるジョンウォンは、今まで多方面で描かれてきた様々なジャンルの中でコンユの集大成のように感じます。

いやぁ、集大成とまではいきませんよ(笑)!「トランク」を選択したのも、ひょっとするとそんな魅力からでした。できる範囲内で最大限、作品が画一化されないように、私なりに小さな努力を傾けたんです。観客たちにこういうジャンルも見てもらいたいという気持ちで選びました。作品がヒットするかどうかとは関係なく、これくらいの思惑は持っています。不特定多数が好きになってくれるような素材やジャンルだからといって、必ずしもそれに従ったりはしません。

ところで、Management SOOPの公式youtubeコンテンツで、お菓子を食べているところにカメラが登場すると「俺がお菓子を食べてるのがコンテンツになるの?」と聞く場面が面白かったです。人々の好奇心や関心が今も不思議に感じますか?

それはファンや一般の人に対して言った言葉ではなくて、本当に気になったから聞いたんです(笑)もちろん私にも興味を持って気になる人がいるけれど、基本的に、あえて自分が知らなくてもいい部分まで知りたがるようなファンではないんですよ。ある意味素っ気ないと感じるかもしれないけれど、これが何で気になるんだろうと思って聞いてみました。

それでも私たちは気になりますから。朝どんなコーヒーを飲んだんですか?

ハハ。ラテを飲みました(笑)今まで大体アメリカーノを飲んでたんですが、いつからか朝にちゃんと準備して食べるのが大変になったから、オートミルクを入れたラテで空腹を紛らわせています。

お酒もよく似合う人です。最近どうやってロマンを満たしてますか?

完全なる「ウィスキー派」です。ホワイトワインを好んで飲んでいた時があり、ビールも相変わらず好きです。元々は焼酎派だったんですが、ウィスキーに興味がわいてからは、その歴史や世界を探訪するのが面白いんですよ。最近夏休みが取れなかったので、短く3泊4日で札幌に行ってきたのですが、完全にウィスキー旅行でした。一番いいウィスキーバーをググって、直接足を運び、厳選して尋ね歩きました。会社の理事と2人で行ったのですが、男2人で行った旅行の中で、一番楽しかったです。

「コーヒープリンス1号店」と「トッケビ」でシンドローム的な人気を謳歌したあなたの29歳と39歳を覚えています。反対に自らは「一番過酷だった時期」と言ってきましたが、今のコン・ジチョルは「コンユ」という存在を楽しめるようになりましたか?

私はコンユを今もなお、これからも楽しむことはできないと思います。本当に悩みなく、一番純粋に楽しめる一瞬は、カメラの前で演技をしている時です。矛盾しているかもしれないけれど、私に一番大きな喜びや達成感はもちろん、ものすごい寂しさを一緒に与えるんです。その時が「コンユ」という存在を1番楽しめる瞬間なんです。だからこの仕事に魅力を感じるのか、止まることはできないのではないだろうかと思いながら。

コンユが、それほどしっかりと地に足を付けて生きていける動力とは?

元々の性格がそうなんです。足がふわっと浮いているのがあまり好きではありません。いわゆる人々が成功したと称える基準がありますよね。視聴率、シンドローム級のイシュー、1,000万観客みたいなものたち…。結果で評価される職業でもあるから、受け入れはするけれど、そんなことで誰かが私をふわっと浮かせる(おだてる)のも嫌だし、自らふわっと浮いてジタバタすることをこの上なく警戒します。居心地が悪いんです。地に足を付けていれば安心感を感じる人間なので、隣で誰かが雲に乗せてくれたとしたら、不安になるだけです。もちろん前に進む努力はするけれど、いつも自分だけの適正温度を維持しようとしています。

だとすると、その支えと愛をどうやって程よい温度で返そうと思っていますか?

大衆は、言葉の通りそれぞれ好みと興味があまりにも違う、毎回作品を上げるけれど、本当に難しい存在です。ものすごく不規則な流れを持っていて、時々刻々変化するので難しく、また怖くもあります。だけど全ての人が気に入ることはないということを悟ってからは、少し楽になりました。だから気を楽にして、自分の基準と所信の中で正しいと思うことをしようというふうに変えたんです。だからこの言葉は本当に決まり文句ではあるけれど、これから良い作品と、皆さんの期待に少しでも近づけるように努力します。段々年を重ねてきて、以前はお見せできなかった表情や目つき、演技で。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です